本田圭佑の名言【挫折は過程】~サッカーでの挫折からの復活~
【本田圭佑の名言】
”挫折は過程。最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。
だから成功するまで諦めないだけ”
「挫折は過程」の意味とは・・・?
この名言の意味は、たとえ現在うまくいかず失敗ばかりでも、
最後に成功という結果を得ることが出来れば、
それは”失敗”ではなく、”過程に変わる”という意味です。
本田選手が言いたいことは、
「1000回、10000回失敗しても
成功するまで諦めずに続けることが大事」と言いたいのでしょう。
1番駄目なのは、失敗したまま諦めてしまうということです。
本田圭佑の挫折経験①
本田圭佑選手はACミランで10番を背負うまでになりましたが、
全てが上手くいっていた訳ではありません。
その中でも、中学時代の挫折は有名です。
中学時代の本田選手はガンバ大阪のジュニアユースに所属。
しかし、足が遅くチームの中でも目立った選手ではありませんでした。
そのため、ガンバ大阪ユース(高校の年代)には、
入ることが出来ませんでした。
けれど諦めることなく、
石川県のサッカーの名門の星陵高校に進学し、
高校卒業時にはプロからスカウトが来るレベルにまで成長しました。
もし、中学時代にサッカーを諦めていたら、失敗で終わるのでしょう。
しかし、諦めずに続けたことで、中学時代の話が現在は
”本田圭佑選手がACミランで10番を背負うまでの過程”に変わっています。
本田圭佑の挫折②
本田圭佑選手は名古屋グランパスで活躍し、
オランダの1部リーグのVVVフェンローに移籍します。
しかし、そこでもまた大きな壁にぶち当たります。
助っ人選手と期待されて入団したにも関わらず、
結果は出せずにチームも2部リーグに降格してしまいました。
サポーターからは「本田圭佑選手を獲得するのはどうなんだ?」
「チームの財政状態が圧迫するんじゃないか?」と批判も出てきました。
本田圭佑選手は監督、チームメイトと話し合いなどを何度もして、
2年目から別人の活躍をします。
2部リーグながら、16得点、13アシストを記録。
チームも2部リーグ優勝の快挙。
さらに本田選手はリーグのMVPに選出されました。
チームでも外国人助っ人選手なのに
異例のキャプテンも任されました。
この頃から本田圭佑選手は、
カイザー(皇帝)というニックネームが付きました。
本田圭佑の挫折③
本田圭佑選手はその後、ロシアの強豪CSKAモスクワに移籍。
ここでも新たに試練が起こります。
それは選手生命を左右しかねない膝の怪我です。
試合中に右膝を負傷し、しばらくの間
クラブや日本代表を離れることになります。
しかし、一向に良くならない膝の状態に対して、
本田圭佑選手は手術することを決断。
手術は成功し、本田圭佑選手はパワーアップします。
膝の怪我で練習できない間、弱点の瞬発力や膝周りの筋肉を鍛えました。
これまで体を張ったプレーが多かったのですが、
相手との接触などで怪我に繋がりやすかったです。
しかし、今回の挫折から接触せずにプレーするということを身につけました。
リーグ戦や代表戦でも瞬発力を生かしたプレーでゴールすることが増えました。
現在ミランで新たな壁に直面している本田選手。
思うような活躍が出来ていませんが、
今までの経験を生かして成功してくれると信じています。